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保存用経済文化が未発達の頃、最初はほしいものを手に入れるために物々交換を行っていたが、
やがて、米や布・塩などが出てきだした頃には、 それらが物品貨幣の役割を果たすようになった。 ここから貨幣が生まれだした。 最古のお金で最も代表的なものは貝だと言われている。 ゆえに、お金をあらわす漢字には貝の字が多く含まれている。 そして、お金が使われだしたことにより、 商業が始まっていったと言われても過言ではない。 商業が始まり、商業集団が起こった時代には、 油を採集し売る油座や、それまでの座商人の特権廃止や市場税の廃止、 また、座そのものの廃止によって、 新興商人の自由営業を許した楽市楽座など、発展していった。 そして、世界に目を向けると、1769年に、 スコットランドの数学者でありエンジニアでもあった ジェームズ・ワットが、新方式の蒸気機関を開発した。 これが、産業革命・工業化社会の原動力になった。 これらの劇的な産業社会の発達が始まり、 ついに産業革命とよばれる産業構造の大きな変化が18世紀後半のイギリスで始まった。 それまで動力源は家畜や人間の力に頼っていた生産方式に対し、 蒸気機関などを利用した近代的でかつ大量生産が可能な方式に変化し、 それはやがて世界中に広がった。 当時、イギリスではインド綿布が流行し、人気が半端ではなかったため、 生産が追いつかなくなったのだが、そこで大量生産するために、 使用されたのが、蒸気機関の登場によって作られた6,7階建ての 工場などという大きな技術の改良が始まった。 これが第一次産業革命の発端である。 そして、日本では明治から1950年までを第一次産業の時代という。 しかし、第二次世界対戦が終了した直後であったせいか、 自然の恵みを収穫する農業・林業などが中心であり、 製鉄や織物はまだ少なかった。 それが1970年代になると、第二次産業と呼ばれる、 軽薄短小産業へと世代交代が行われていった。 そして1990年代になると、さまざまな事件により、 日本の国内生産量は落ちていき、結果サービスやソフトウェアーなどを 提供するいわゆる第三次産業が大きく伸びてきた。 つまり、物々交換から産業の発達までの変化は、 ワットの蒸気機関の発明に始まり、その後のさまざまな戦争や事件などにより、 人間はそれぞれの時代に対応すべく、 さらなる進歩を、産業社会に求め、実現させてきたのだと私は考えた。
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